Tales of ARISE
Beyond the Dawn「Prelude」
リンウェル&ロウ編
~変わらないふたり~
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――レナの支配が終わり、ふたつの世界が文字通りひとつになった“世界合一”から、およそ一年。新しい世界はまだ産みの苦しみの最中にあった。
「せいっ!」
力強い気合いと共に、重い打撃音が青空を震わせた。
拳越しに感じる、衝撃が正確に急所の芯を打ち抜く手応え。数瞬遅れて、ズーグルの巨体から力が抜け、音を立ててくずおれる。それを見届けて、ロウは深く息を吐き出し、構えを解いた。
「よしっ、と。もう出てきてもいいぜ」
振り返って向けた視線の先で、木の陰から恐る恐る男が姿を現した。背に大きな荷物を背負っている――カラグリアの行商人だ。
「だ、大丈夫なのかい、本当に?」
「ああ、他に気配もねえし、今ので最後だ」
そう言われても、行商人は不安をぬぐい切れないらしい。落ち着かない様子で、しきりに辺りへ目を向けている。
「せっかくここまで何事もなくこれたのに……一番安全と聞いてたメナンシアで襲われるなんて」
こうしたぼやきを聞かされるのは、これが初めてではない。ロウは頭を掻いた。
「ズーグルがいない土地なんてないって。そりゃメナンシアはましな方だけど」
無論、そんなことは行商人も承知の上だ。だが人から聞くのと、実際に食われそうになるのとでは、話が別だ。彼が行商人としては駆け出しであること、ましてメナンシアまで足を延ばすのは初めてであることを、ロウは知っていた。
ほんの一年前までダナの地を支配していたレナ人たちは、様々な種類の怪物を――ズーグルを――ダナに持ち込んだ。その頃でさえ、レナ人の制御を離れた個体は珍しくなかった。
今ではすべてのズーグルがそうだ。一年前、ダナとレナ、ふたつの世界が融合した時、レナ人たちはズーグルを操る力を失った。彼らの拠点だったレネギスが崩壊したことが関係しているらしい。そんなような話を聞かされたような気もするが、ロウにはあまり関心がなかった。重要なのは、今も昔と変わらずズーグルは危険であり、街道であっても出くわす可能性があること、そしてそのため多くの人にとって旅は未だ危険であり、護衛が欠かせないということだ。
「安心しなって。ここまで来たら、もうちょっとだ。ほら」
ロウが指し示した先、草原の間に延びる街道のその先に、高い城壁に囲まれた大きな街がそびえているのが見えた。行商人の口から、溜息混じりの声が漏れた。
「あれがヴィスキント……メナンシアの首府か。なるほど、噂に違わず立派なもんだ」
不意にその顔が曇った。
「いつかウルベゼクも、あんな風になれる日が来るだろうか」
「そいつは頑張り次第だろ。俺たち皆のさ」
「……そうだな。あんたの言う通りだ」
ロウの励ましに、行商人は気を取り直して言った。
「それにしても助かったよ。〈紅の鴉〉から、ひとりしか回せないって言われた時は、どうなるかと思ったが。お陰で先を越されずに済みそうだ」
かつてはカラグリアの抵抗組織だった〈紅の鴉〉は、今は同地の自治を担っている。奴隷の身から解放されても、多くのダナ人はどう暮らしを立てればよいかも分からぬ有様で、勢い〈紅の鴉〉はおよそ考え着く限りの種類の陳情の受け皿となっていた。その点はどの土地の組織も似たような状況だったが、もともととりわけ貧しいカラグリアでは、物資と人手の不足は深刻だった。
危険な街の外の護衛は頭数を必要とするのが普通で、単独の行商人のような話は後回しにされがちだった。それをロウが自ら名乗りを上げて引き受けたのだった。行商人としては、いくら〈紅の鴉〉の人間とはいえ、少年ひとりの護衛はいかにも心許なかったが、どうしても逃したくない商機があったらしく、〈紅の鴉〉の太鼓判もあって、悩んだ末に頼むことにしたのだった。
「ズーグルをまとめて何匹も相手にしてのけるとは、いや、見くびって悪かった」
「大したことしてねえって。それに俺もヴィスキントに行きたいとこだったから、ちょうど良かったんだ」
気をよくしたロウは謙遜してみせた。とはいえ実際、例え一匹であろうと、単身ズーグルを相手にできるダナ人は多くはない。まして複数を同時にとなればなおさらだ。過去の戦い、そしてその後の一年を生き抜いてきたロウには、確かにその実力と、それに相応しい余裕めいた雰囲気があった。
その雰囲気で連想したのか、ふと行商人は思い出したように言った。
「聞けばヴィスキントにゃ、修練場っていう腕試しの施設があるとか。あんたのお目当てもそれかい?」
「いや、俺はまあ……知り合いに、その、会いに、っていうか」
急に声が尻すぼみになり、目が泳ぐ。その様子に、行商人はなにか合点がいったように笑みを浮かべ、手を打ち鳴らした。
「ああ! そういうことかい、こりゃ野暮なことを聞いちまった」
「違っ、別にそういうんじゃねえって!」
さっきまでの貫禄はどこへやら、途端にロウは上擦った声を上げた。慌てて否定するその姿は、年相応の、そして彼本来の性格を物語っていた。ロウは咳払いひとつすると、なおもにやにやしている行商人に急かすように言った。
「ほら、もう行こうぜ。もたもたしてっと、またズーグルが来るかもしれねえ」
「分かった分かった。最後までよろしく頼むよ」
訳知り顔のまま歩き出す行商人の背を見送りながら、ロウはまた頭を掻いた。どうも、最後の最後で締まらないのは直らない。
まあいいか。
ロウは小さく肩をすくめると、あまり行商人と距離が開かないよう歩き出した。その目は行商人の背ではなく、その向こうに横たわるヴィスキントの、さらにその中心にそびえる宮殿に向けられていた。顔にはそれまでとは違う、何かが複雑に入り混じった表情が浮かんでいた。
あいつ、元気にやってっかな。
「ここの構文の法則が……え、でも、ってことは、この単語……そうか、意味が逆になるんだ!」
中身が詰まった本棚が立ち並ぶ、薄暗い部屋の一角で場違いな声がした。大きな机、その上にうずたかく積み上げられた本の山々。その向こうで華奢な拳がふたつ、天井に向かって突き上げられた。
「ああ、すっきりした。やっと意味が通じたよ。変だと思ったんだよね」
椅子の背もたれに寄りかかり、体を伸ばしながら、満足げにリンウェルは言った。その傍ら、ちょうど顔の高さで羽ばたき浮かぶ白いダナフクロウの仔、フルルが何かに気付いたように声を上げた。
「フルッフゥ!」
「え? 誰が来たって?」
リンウェルは、夢から覚めたように聞き返した。
「本で城壁作って何やってんだ、お前」
フルルではない人間の声に、背中を逸らせた万歳姿勢のまま、リンウェルは視線だけそちらに向けた。本の地層越しに呆れたような顔が目に入った。
「あれ、ロウじゃない。なんでいるの?」
「なんでって……仕事で来たついでだ、ついで」
「ふーん、そう」
ことさらついでを強調するロウに、こちらもことさら素っ気なさを強調して答える――軍配はリンウェルに上がったらしい。
「そっちこそ久しぶりに顔出してやったのに、もう少し嬉しそうな顔しろよな」
乗せられたと思ったのか、咳払いひとつするとロウは机の上を見渡した。積み上げられた本の量は、どれだけの時間があれば読み終わるのか見当もつかない。どころか、自分なら一生かかっても無理だろう。
「またずっと籠りっぱなしなのか? よく飽きねえな」
「全然! 一冊、ううん一ページ読むたびに新しい発見とか学びがあるんだもん。そんな本がこんなに一杯あるんだよ? もう宝の山に囲まれてるような気分」
リンウェルは両腕を広げ、室内を指し示した。壁のように並ぶ、どっしりとした作りの本棚の列。どの棚も、隙間なく書物が収められている。レナ人が持ち込んだものもあれば、支配される以前のダナのものもあるという。リンウェルの目は興奮と陶酔に輝いていた。
「フルゥ……」
「フルルが呆れてんじゃねえか。だいたいその割になんか疲れてないか?」
「別に大したことない。ただ、今読んでる本、ちょっと手強くて」
「へえ、お前でも難しいなんてことあんのか」
声に籠る皮肉のない素直な賛辞。その無自覚さに、リンウェルは虚を突かれた。
「む、難しいっていうか、これダナの本なんだけど、今とは違う昔の言葉で書かれてるんだ」
何かを誤魔化すように、リンウェルの口調が早くなる。
「それに昔のダナには色んな種類の言葉があって、それぞれ場所によって違うのを使ってて」
「今じゃダナとレナですら同じ言葉を使ってるのに、か」
どこか遠い声でロウは言った。
別の世界からの侵略者であるレナ人が、最初からダナ人と同じ言葉を使っていたのは、その実、彼らの正体がダナ人から作り出された存在だったからだ。彼らを作った者たち――ヘルガイムキル――には独自の言語があったのだろうが、それをレナ人が使わなかったのは、肉体的に使えなかったか、支配体制を築く上で言葉が同じ方が都合よかったからではないか、というのがリンウェルの見立てだった。そして300年の支配の過程で、多くの言語が消し去られたのだ。現在も使われているただひとつを除いて。
とはいえ、それは過去のことだ。ロウは今のリンウェルの机に目を戻した。その目が書物以外のものを捉えた。皿の上の乾ききった食べかけの料理。器の底にこびりついた飲み物の名残。これは――
「……ちょっと待った。お前、最後に食べたのいつだ? いやその前に、いつから寝てない?」
「そう言われると……いつからだっけ。いやほら、ここって薄暗いし時間がよく分からないからさ」
気まずそうに笑ってみせるリンウェル。ロウは頭を掻きながら聞えよがしにぼやいた。
「ったく。ちゃんと見てねえと、すぐこれだよ」
「何よ、余計なお世話――」
「フギャフルル!」
珍しく抗議するような調子でフルルが割って入った。激しく翼を羽ばたかせて、リンウェルを睨んでいる。
「ほら、フルルだって心配してんじゃねえか。いいからちょっとなんか腹に入れて、ひと眠りしろって」
「う、ふたりして……分かったよ」
二対一。さすがに分が悪いと悟ったか、不承不承、リンウェルはうなずいた。
朝日が山々の向こうから昇るにつれ、照らし出された街の随所で長い影がいびつな縞模様を作り出していく。通りでは、早くも人々の往来が生じている。屋台の設営のために忙しそうに動き回る商人たち。一見して服装でそれと知れるダナ人にレナ人。そして朝日に輝く銀色の甲冑をまとった装甲兵の巨体。互いに一切身構えることなく行き交う人々。
宮殿から通りを見下ろす階段に腰を下ろして、その光景をロウは、ぼんやりと眺めていた。
変らないな。
メナンシア。その中心ヴィスキント。世界で唯一、ダナ人とレナ人が対等に共存している地。ダナ解放以前から種族間の融和を実現していたメナンシアは、一年経った今も、世界の先駆けともいうべき場所なのだった。
“いつかウルベゼクも、あんな風になれる日が来るだろうか”
この街の眩しさは、他の土地が抱える問題の多さの裏返しだ。ほんの一年前まで、ダナ人はレナ人の奴隷だったのだ。ロウ自身それを打ち壊すのに一役買ったとはいえ、何もかもが一新されるには時間が短すぎた。曙光のせいでなしに、ロウは目を細めた。
「ここにいたんだ」
声に顔を上げると、リンウェルが横から覗き込んでいた。
「なんだ、もう起きたのか」
「目を覚ましたら、朝だしいないし。帰っちゃったのかと思って、びっくりしたよ」
少し咎めるような声。それでいてロウを見つけて安堵したようにも見える。
「そんなことしねえって。それにちゃんと休まなきゃ駄目だろ」
気遣いとも言い訳ともつかないロウの口調。聞きなれたいつもの口調。リンウェルは無言でロウの横に腰を下ろした。しばし同じ先を見つめた後、口を開く。
「……ありがと」
「おう」
また沈黙。ふたりして街のざわめきに耳を傾ける。
ふと何か感じてロウが横を向くと、リンウェルがこちらをじっと見ていた。
何か続きの言葉を待っているのだろうか? 朝日に照らされたリンウェルの顔は、どこかいつもと違って見えて――ロウは急に喉がつかえるのを覚えた。
「そ、そうだ、届け物があんだよ」
目を逸らし、懐をまさぐる。リンウェルがどんな反応をしたかは見ない。見えない。
「届け物?」
「ほらこれ」
差し出した手には封筒が握られていた。
「……手紙?」
「ああ。アルフェンとシオンからだ」
「シオン!?」
声を張り上げるや、リンウェルは封筒を引ったくった。もうロウのことなど眼中にない勢いで、中身を取り出す。
その様子に呆れつつ、己に対してロウはぼやきたくなった。だが、目の前で一心に文面を読むリンウェルの様子を見るや、自然と口元に笑みが浮かんだ。
まあいいか。
結局のところ、これが自分たちなのだ。この先がどうあれ、少なくとも今は。
ロウはリンウェルが読み終わるまで、じっと見守り続けた。
リンウェルの頭巾の中で、眠っていたフルルが大きく嘴を開けて欠伸をひとつ。そしてまた眠りに落ちた。
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